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会誌『癒しの環境』 Vol.16 No.1
(2011年4月28日刊行)

「ターミナルの癒し」
  ―第43回研究会報告−

〜最新号の巻頭言から〜

 親友から電話がかかった。「旦那がね、機嫌よう、行かはったわ」。「え、どこに。」思わず、聞き返した。天国に、であった。
 友人は普段から夫に頼んでいた。死ぬ間際は人工呼吸はいらないから。鼻孔に脱脂綿を詰めた顔をさらさないで。線香の代わりに香水。喪主のあいさつのない家族葬を。その一言ごとに、「あなたはどうする?」と夫に問うていた。ご主人はしっかり妻に感化され、彼女と同じ意見になった。
 そして20年。そのご主人が突然、胆のうがんで余命3か月と宣告された。在宅ホスピスのケアを受けることにした。それとなく友人たちにさよならも言った。痛みをとれば、人は幸せに生きられる。電話するとすぐ、医師や看護師が来る。37.5度以上の熱は体力がなくなるからと薬を飲む。便秘予防、洗髪、足湯、全身清拭を手際よくしてくれる。「ここに伺うの、楽しみでした」と、亡くなってからホスピスの看護師が口をそろえた。そして、前述の簡素な送りがあった。
 明治時代から戦前にかけて、高等女学校や農村女子青年団では看取りの教育が実施されていた。当時の『実用看護法』や『実践家政学講義』『家政講話』といった教科書には看取りの方法が記されている。「先(ま)ず臥褥(がじょく)を整理し、見苦しい有様(ありさま)の無いやうにして、静かに」(『家政講話』)。「親愛を盡(つく)し、安然の終命を遂しむる」(『派出看護婦心得』)。
 ベッドの作り方、病室のあり方、部屋の明るさから室温まで非常に具体的で、看護する者ではなく、あくまで死のうとしている人にとって快適な環境を保つように、穏やかに死を迎えるための環境づくりを強調している。アクティブ・ダイイングという時期だ。家では点滴もないので、過剰な点滴で胸に水がたまって痰が絡まることもないし、腎臓が弱ったからと体がむくむこともない。死亡の判定や死後の処置にも細かい指示がなされ、看取る人が死を受け入れることを重んじている。
 こうした看取りの文化は病院死が増えるにつれて忘れられた。在宅ホスピスは今のところ、24時間付き添ってくれる誰かがいてくれてこそ可能である。在宅看護は可能なのに、病院で最後を迎える人も未だ多い(ときには遠い親戚の指示で!)。病院では肉親の死を真実に経験させてもらえない。
 友人のご主人が突然の病気でICUに入り、2週間で帰らぬ人となった。彼女は「彼のベッドの隣にいると、落ち着くの」と言っていた。結婚以来手を握ったこともない主人が、意識がないのに、手を握ると握り返して来ました、と頬を赤らめた。亡くなる人はほんとうにやさしい。ICUでも24時間の家族の付添許可が必須である。東日本大震災では、寒さや衛生状態の悪さから避難所での「震災関連死」が282人に上っている(2011年4月12日時点)。避難所で「こんな所で死にたくない」と元気に語っていた85歳の女性がその夜亡くなったとの報道もあった。病院・施設の雑居の部屋で、家族も来ずに他人に看取られるのは、避難所での死と変わらない現実もあるのではないか。
 『おひとりさまの老後』を書いた上野千鶴子さんは、自分で生きた家でひとりで死にたい、それが尊厳だという。私の青春の書、ロマン・ロランの『魅せられたる魂』には、主人公の女性がひとりで死ぬ場面がある。庭に下りて、大地に寝転び、大地の冷気を身にまとい、死を待つのだ。
 人間的に死ぬことを考えるために本号を企画した。人間的に死ぬ環境と周りの人々が必要である。米国のホスピスで「昨日、友人がピースフル、ハッピーに亡くなったよ」と笑顔で語ってくれた人に会ったのは、10年も前のことだ。みなさまがこの機会に死をみつめて、前向きに生きることに転換していってくださることを願っている。


癒しの環境研究会代表世話人 高柳和江


最新号・主要目次
『癒しの環境』 Vol.16 No.1
 CONTENTS 2011.4月
T.特集 「ターミナルの癒し」 −第43回研究会報告−

講演
ターミナルの癒しの環境――建築の立場から

工学院大学副学長 建築学部長・建築学科教授 長澤 泰
バラ園のある病院から――患者・家族とスタッフの癒し

青梅市施設課長 村木 晃
米国でのターミナルケア――人間の死ぬときの尊厳は何か

文京学院大学客員教授 放送大学客員教授 高柳和江
ハープ・セラピー ――ハープとともに患者さんに寄り添う

ハープ奏者、療法音楽士 日本ハープセラピー協会代表 神藤雅子
「在宅」って何だ! ――そして「癒し」の再考

花の谷クリニック院長 伊藤真美
U.第5回笑い療法士発表会記念講演
立ちどまって、耳をすます ――野の花診療所からのメッセージ

徳永進 野の花診療所診療所 院長
 
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